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アンナはまるでその時が来る事を知っていたかの様だった。奥の間から現れる事がなかったので、話を聞くこともない。
が言ったあの言葉は、いったいどういう事なのだろうと、葉は今でもいろいろと考えている。
ただその時はの周りには何も見えなかったので、「何もない」と答えた。だいたい、阿弥陀丸は憑き物ではないので、
そのあたりの誤解を解くことに尽くしていたような気もする。
しかし今こうして考えてみると、何かが違う気もしていた。
まん太に巫力は無いが、阿弥陀丸の様な霊は見える。
それならにだって巫力無しで霊が見られるかもしれないが、葉はどこか納得いっていなかった。
そこで、イタコであるアンナに相談しているのだが、その事に関してアンナはまるで無口だ。
「だから何だって言うの?葉の勝手な憶測でしょ」
矢張りアンナは何かを知っている様子だったが、葉にそれ以上訊く事は許されなかった。
少しだけ空気が乱れる。
何かのにおいが鼻を突いた気がした。
それからだって、はあまり変わることなく日々を送っている。
葉はにまん太を紹介したが、彼女がまん太を見ることはなかった。
潤いが無くなりつつある。少しずつ、は疲れていった。
アンナはもう関わるなと言ったが、葉にはをそのままにしておく事はできなかた。葉とは、そういう人間なのだ。
そして、その日もまた、葉は家に遊びに来ないかとを誘った。
今日はまん太も塾は無いから、阿弥陀丸も入れて四人で話しでもしようと切り出したのだ。
その頃のの手の包帯は、既に外されていた。
四人で歩き、三人分の影が出来る街道。
一歩後ろを歩くの隣には、阿弥陀丸が居る。
傾きつつある太陽は赤らんでいるが、彼女の白さを強調するばかりだ。
阿弥陀丸には、ふとそんな横顔が泣いているかのように見えた。
なにかのにおいがする。
「あれ?ねぇ、あそこ!煙が出てない!?」
瞬間、先を歩いていたまん太が、通りの一軒家を指し、声を上げた。
よく見てみると、煙が立つ家の二階ベランダで、小さい子どもが泣いている。その奥からは、ちらちらと赤いものが揺れていた。
あまりにも突然の事で、上手く判断が出来なくなる。
そうして何歩か躊躇した後、まん太が携帯を出し、葉が走り出そうとしたその時には、はもうその場にはいなかった。
葉たちの状況把握が遅れている間に疾走して行ったのだ。彼女の背中は、既に見えなくなっている。
二度目の判断を迫られた葉は、急いでの後を追って行った。
■ ■ ■
容赦なく覆い被さって来る熱気と黒煙は、体温を保とうとするの白い肌をもろもろと嬲った。
汗を掻かない彼女の体は体温を上げ、表皮からみりみりと焼け爛れていくのを感じる。
燃盛る一軒家に突入したは、あまりの熱さに足元が眩んだ。
― 地に足がついていて、いつの間にかそれはぴったりとくっつき、離れられなくなっている
足が重たい。溶けた部分が地にくっついてしまったかの様だ。今、自分はどのあたりに居るのだろう?
二階に急がなくてはいけない。
― 気付くと膝のあたりまで溶けて でろでろと地面に吸着していた
嗚呼……足が重いよ。なんとか階段まで辿り着いたが、眼が痛くて先が見えない。けれど、行かねばならぬ。
階段が焦げて落ちそうだ。
― いつしかそれは私の腰まで及んでいて、腕も先端が赤い色に染まって粘着のある液体になっている
腕が焼ける。まるで蝋燭の蝋になった気分だ。自分が何であるか判らなくなっている。
もうすぐだ。きっともうすぐ……だからちゃんと待っていて……。
― 私の頭部は崩れ、じると脳が溶けていく 躰がとても熱い けれど、私の眼球はまだ残っている気がした
燃え上がるドアを押すと、簡単に倒れる。その向こうには、泣いている女の子が居た。
もう、大丈夫だよ。
意識が薄れる。まるで首だけで進んでいるようだ。
もう、私の肢体は失われたのだ。
この子だけでもいいから、救ってほしい。
最期に、空が観たかった。
赤い
赤い世界だ
■ ■ ■
自分はあの頃のことをずっと引き摺っていた。
ただ残苦でしかなかったあの思い出が、たったひとつの光明であったのだ。
燃える家族を笑ってみていたのは、私じゃない。
そう 本当に笑っていたのは―――
葉はの体を抱え込み、何度も名前を呼んだ。葉の顔は強張り、引き攣っている。
その時には、炎に包まれた彼女は、手足の皮膚が焼け、ところどころにじくじくと血を垂らしていた。
煤汚れた顔は白い。彼女の肌が白ければ白いほど、痛々しく見えた。
此処に着いた時、女の子を守るように体で包み、気を失っているを見た。
それを想う度、葉は眉を顰め、唇を噛む。
そして、葉が力無く彼女の名をもう一度呼ぶと、ぴくりとその躰が反応する。
「………!?」
ゆっくり目を開けたは、虚ろに辺りを見回し、最後に葉を見た。
自分が見ている人間は、顔を歪めてへなっと笑う。
は、じっとそれを見ていた。
それとは、葉だ。
は、少し笑った気がした。
「 ねんどみたい 」
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