016.足跡をたどって






























あれからアンナは、葉に多少なりとも怒りを覚えている。

例えなんであろうとも、彼女の中で“目覚めてしまったもの”は、葉無くしては起こり得ぬ事であったのだ。

厳密に云うと、阿弥陀丸が強く関与している。

否定出来ぬ霊の存在。持ち霊の意味。生身の人間が必要とするその力。それらが揃い形作られた時、の中の何

かに触れたのだ。

“何か”。それは、本人でさえ忘れてしまっている潜在意識だろう。

そして、ここで明らかにならなければならない事とは、彼女が至って普通の人間となんら変わりがないという事だ。

彼女があまり人と口をきかず、ぼうとするのは、精神がおかしいからではない。彼女は、ただ必死に“思い出そうとし

ていた”のだ。勿論、“忘れてしまった過去”をだ。

その姿は断片的にを見てきた者には到底理解らない。

人を避けて外を眺めているだけだ。気味が悪い……なんて愚か過ぎる。

彼女自身はそういう見解を気にする態は微塵も無い様だったが、一般的に考えれば苦悶するものだ。

しかし、この場合はそこに着眼点はない。

彼女の記憶が途切れたのは、今から何年も前の話だ。つまり、それまではたった一つの事に半生を掛けてきた事

となる。

自分を疑いつづける苦悩。空を観れば、朦朧(ぼんや)りと自分を救う事が出来た。










秋空。体育祭は終った。

校門の前で、道蓮が葉を待っている。アンナはいち早くそれを見つけ、短い溜息をついた。

しきりの高い私立高校の制服を着ている道蓮は、葉と互いに無二の親友と思っている為、一方の変化には目聡い。

故にアンナは、この先に彼を挟むのは面倒だと思っている。且つ、早いうちに葉に釘を刺しておくべきと考えているか

ら、尚更の事だった。

あからさまに厭な顔をするアンナを余所に、葉と蓮は挨拶を交わし、二人の世界に入らんとしている。

葉は嬉しそうだった。

益々、アンナは切り出せない。蓮を睨む。



「悪ィ。話し切っちまったな。続けてくれ」



思うに、葉はアンナを苛立たせるのが上手い。

何の事かと横から入る蓮に、葉はその内容を、いつもの如くすらっと告げた。

怒る余地も無い。再び溜息をついたアンナは、二人纏めて片付けてやると拳を握った。










人間は、一人になりたいと思う時がある筈だ。少なくとも、葉やアンナにはある。

一人になって物思いに耽ったり、静かに時間を過ごすという時間は、少なからず必要だろう。

は、その時間をいろんな場所で有し、それが他より少し長かったというだけなのだ。そう考えれば、普通の人間と何

ら変わりはないじゃないか。

ただ、彼女はあの日で“普通”と違ってしまった。

体育祭での高飛びも、その後の通常授業も。彼女は生死を分ける大火傷を負い、指を動かす事さえ許されない体で

あった筈なのに。

まるで虫にでも噛まれたかの様に平常だった。掠り傷さえなかったのだ。払っても払っても煤の下は彼女の白い肌

ばかりだった。

だから、後から着いた消防士や救助隊、警察なんかには、彼女があの豪火に飛び込んだという事は判らなかった様だ。

アンナはその場に居た訳じゃないから、にどんなことがあったかは知らなかった。それなのに、その日、アンナは葉が

連れ帰ったを見て、珍しくも狼狽(うろた)えた。



「もともとそいつは火傷などしていたのか?お前の見間違いなら話は別だ」

「あっははは。まぁな」



葉がを発見した時は、確かに彼女は見るも無残に肌が焼かれており、重体であったことに間違いはなかった。

彼女が目覚め、再度気を失ってから、葉が外に連れ出す“その間”に傷は治っていたのだ。

その間……“その間”にいったい何があったのだ?



「憑依合体。あるいは、何らかの形で葉が阿弥陀丸を遣ったのよ」



アンナは憮然と言った。

酷い火傷を負った。そのを追って火に飛び込んだ葉。足場は最悪で、階段は落ちる寸前だったそうだ。

と女の子と、自分。助かる手段は一つだろう。

葉は阿弥陀丸と憑依合体した。

その時だ。その時に、彼女の中で最後の材料である“憑依”というものが形作られ、目を開けた。

アンナは続ける。きっとここからは、イタコにしか解り得ぬ事だ。

本人さえ忘れてしまっているその潜在意識とは、炎の意識だ。

彼女の受けた傷は治ったのではなく、密に言うと、その潜在意識が“取り込んだ”ものである。

つまり、葉が憑依合体をした瞬間に彼女の躰にも何かが憑依し、その力によって傷は無かったものとされる。その何

かが何であるかはアンナにも解りかねるが、炎に纏わるものである事は確かだ。

それが何故、その場にいなかったアンナに解る?

憑依合体とは憑依されるものの意識によって行われ、外に出すのだって同様の原理だ。ただの憑依であるなら、何

かに取り憑かれたとか言う一般的な霊的現象として捉えられるが、憑依合体とは、シャーマンのみ成し得る業である。

それが何故、シャーマンでないに出来たのか。そもそも、炎に纏わるもの自体、現在のがどうやって呼んで来た

ものなのか。

イタコにしか解らぬものとは、いったい何なのだ。



「あの子の持ち霊は“潜在意識”よ。そして、それは今でもあの子の躰に憑依し続けているわ」



そんな疑問を、アンナは一蹴した。

憑依し続ける――つまり、という媒体を霊が乗っ取ってしまった――そういう事だ。

であり続けるには、霊自体の意識がないか、彼女が持つシャーマンとしての力が強いということになるが、彼女

の場合、後者は考えづらい。そうとなった時にやっと、彼女の持ち霊が潜在意識であることに合点がいく。

また、実際彼女と憑依合体しているならば、葉や蓮の様なシャーマンにもその“状態”というものが判断できる筈であ

るが、気付かなかったという事は、それは力を使用する時のみ能力が発露するということなのだろう。










アンナはまるで、感の良い探偵の様だ。

そんな話をちゃんと聞いていたのかいなかったのか、葉はいつもの様にあっさりとした態だ。

宅のちゃぶ台上にあるお茶は、すっかり冷めきっていた。

縁側の向こうから、炎の様な夕陽が覗いていた。

ここまで詮索しているのに、話しの張本人はいない。

アンナは少し厭な顔をして、夕陽を眺める葉の背中に締め括りの言葉を吐かんとした。



「あのコにはもう関わらないで。これ以上何かがあれば………」



「アンナは、ハオが関係してると思ってんだな」



ハオという言葉に蓮は過剰に反応した。

アンナは激情する。



「葉はあのコをこれ以上巻き込むって言うの?危険な事になりかねないのよ!?そんなのっ……」

「心配すんなアンナ。はおいらと阿弥陀丸が護る」



普通の生活をがらりと変えられてしまう恐怖を与えたくは無い。そんなアンナの気持ちは、葉だって痛いほど理解し

ている。

しかし、このままではならないのだ。



「これまで悩んできた分、あいつは自分の時間を取り戻さなきゃいけねんだ。それに――」



「あいつは家族を殺されたんだ」