目が合った。
最初は恐いと思っていたけど……
Oh HAPPEN day .
なんという事だろう。
今、まさにの顔からは血の気が引き、目を真ん丸くさせて、とにかく頭の思考回路を急いで起動させなければならな
かった。
―どうしよう どうしよう どうしよう どうしよう どうしよう どうしよう どうしよう ・・・・・・・!!!!!―
しりもちをついたの向かい側には、まるで自分と同じ格好をした男が。
ゆっくりと、そう、ゆっくりと、まるで世界がスローモーションになったかの様にこちらを見た。
いや、見たというには表現が平坦すぎるだろう。
上がった目尻におもいっきり眉毛を寄せ、その男は自分を睨んでいるのだ。
そう、睨んでいる。
恐怖という不安に襲われながら、は一式の、これまでの成り立ちを明確に思い出そうとした。
確か自分は急いでいて、そう、今日は朝から日直の仕事があって、日誌を職員室から取り、教室を掃いたり花瓶の水を
取り替えたりしなければないらない日で。
普段自分が家を出る時間では確実にやり遂げられない仕事がたくさんあるのだ。
そんな日に限って寝坊というものをしてしまい、いつもの道から外れ、学校まで走っていたところ、何かによって妨げられ、
こうしてスカートが捲れたまま床に転がっているのだ。
スカート・・・・・?
そこまで頭が回ったは、後ろ手についていた腕で前を隠し、真っ青なまま立ち上がると、「すみませんでした!!」と大き
く叫ぶと、鞄をぐちゃぐちゃにしながらも懸命にそこから走り去って行った。
走っている時も同じ。
―どうしよう どうしよう どうしよう どうしよう どうしよう どうしよう どうしよう ・・・・・・・―
途中まで整理した事を振り返り、その続きを考えたくもない頭が勝手に動き出す。
『何かによって妨げられた』
それは無論、ドジな自分が急いだことによって崩して履いたローファーで一人コケた訳でもなく、ドジという事に変わりはなく
とも、走る勢いで誰かにぶつかってしまったのだ。
そこまではいい。
それからが大変なのだ。
もちろん、相手がおじいちゃんやおばあちゃん、小さな子供だったら困りものなのだが、よりによって同級生の。
恐いと評判の、あの海堂薫にぶつかってしまうとは・・・・・。
あの目が、形相が。
年頃の女の子だというのに、しかもスカートの下まで見られてしまった。
―目をつけられる・・・・・―
学校での日直が完璧に遅れるという事も含まえ、は四畳板挟み状態へと追い込まれていた。
+
+
+
日誌を受け取り、時間が遅いと怒られたの周りは、淀んだオーラが立ち込めていた。
こんなブルーな時は、友達に爆弾のように喋ってしまえば気が済むのだろうが、状況的に、そんな事はできない。
常に評判の悪い海堂は、女子からすれば噂の宝庫みたいなものなのだ。
もしそんな奴に危害を加えてしまったとなれば、「お気の毒に・・・・」と言いながらも、自分に関わろうとする人間が後を引くに
決まっている。
実際、こうして無口に、これから先どうして行こうかと悩んでいる自分こそが、皆の迷惑にならぬようにと静かにしているのが
一番良好な道のりなのだ。
「元気ないねぇ。どうかした?」
「うーうん。べつに・・・・・大丈夫」
「そう?」
おとなしいに心配の声を掛けてきてくれる友達が周りにいるのも、時間の問題だった。
気付けば教室は静かになり、ぽつぽつと噂をする小さな声が聴こえてくるばかり。
そして、の元に、知りたくない知らせが来たのはその時だった。
「、海堂くんが呼んでるよ・・・・・」
教室の前扉の近くにその姿はあった。
一難去ってのまた一難、その次にやってくる難題は、すでにの頭では整理出来ぬものと化していた。
「ちょっといいか?」
にしてみれば、その言葉は「顔貸せやコラ」と同じ意味を持っていた。
海堂の後ろを、まるで逃げられぬ常習犯のようにとぼとぼとついて行く。
―ど・・・・う・・・・しよ・・・・―
学ランの上からでも解るしっかりとした背中がやたら大きく見え、普段付けているバンダナを取ると、異常なまでにの
恐怖心を煽る。
今、顔が見えないのはちょっとした救いなのだが・・・・・。
バフッ
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
―あぁ・・・・またやっちゃった・・・―
いろいろ考えて、前を見ていなかったため、立ち止まった海堂の背中に顔を衝突させる。
こちらを向いた海堂の顔は、には見れなかった。
「あ・・・あの・・・・・・今朝はすみませんでした・・・・!!!」
ブォンと音のなりそうな勢いで頭を下げ、そのままの状態で「あぁ、もうどうにでもなってくれ・・・・」と、残り少なかった希望を
は放り投げた。
が
「・・・・頭、上げろ」
「・・・・・・・・へ?」
「・・・・早く上げろよ。俺が何かしたみたいだろ・・・・」
「・・・は、はいっ!」
海堂の顔を覗き込むようにして頭を上げたは、それまでの緊張を感じながら、さっきよりも肩の力が抜けたような気分を
感じていた。
どこか不服そうに目をから逸らし、左手だけをそっとこちらに差し出す。
正しくいうと、それは左手に持っているものだった。
「これ、お前のだろ」
「え?」
「朝ぶつかった時、お前がぶちまけていった」
海堂が差し出したものは、が普段使っていた、愛用のシャープペンシルだった。
赤い小柄な形が可愛いと、一目で気に入って買ったシャーペン。
そういえばあの時、当たった拍子に鞄の中身も飛んでしまって・・・・・。
「あ、ありがとう・・・・・ございます」
「あぁ。ところでお前、大丈夫か?」
「ぁえ・・・!?」
「あの・・・・その・・・右手」
その時、はじめては自分の右手の異常に気がついた。
今まで他の事にいっぱいいっぱいだったは、擦って血が滲んだ傷には気付く事などなく。
落し物を受け取った方の手を気にする海堂の視線がちらちらしている事に、なんとなく罪悪感のような羞恥を感じ始めていた。
「あ・・・・あはは・・・・・」
「(気付いてなかったのか・・・)見せろ」
「えぇ!?」
「・・・・・・・・」
触れた海堂の手は温かく、引いた力は強引なものだったが、明らかに優しいものだった。
見つけた事でじんじんと痛み始めた傷口は、伝った手で熱を帯びる。
どこかで恐いと思いながらも、それはすでにかなり小さいもので、弾けだす1ミリの粒が、ぽんぽんとの心で鳴った。
どこから取り出したのか、抗菌用のウェットティッシュで血を払い、痛みが少ないように、海堂はそっとばんそうこうをその箇所
に貼った。
全然痛くはないし、恐くもない。
小さな声で「よし」と言った海堂は心優しい少年で、なんだか少し可笑しかった。
「・・・・何で笑ってんだ」
「あ・・・・ごめんなさい・・・・・」
「ふしゅー・・・・・」
「海堂・・・・くん?」
「あぁ?」
「ごめんなさい」
恐いと思ってたから ごめんなさい
怒られると思ってたから ごめんなさい
妙な噂を信じてしまって ごめんなさい
くっと結んだグーの手と、悔しさで前が見えなくなる涙が、後から出る言葉を消していた。
全く海堂の方も、最後に言ったごめんなさいの意味が解らない。
「そんな何度も誤る事じゃね・・・・・って、お前何で泣いてるんだよっ!?」
子供のあやし方が判らなくて困る男の子。
その時の海堂は、そんな感じだった。
海堂薫がクラスに来た時、なんでの名前を知っていたか、知っている?
自分にぶつかった人間をこらしめる為じゃなくってね、ずっと前から知ってたんだって。
―海堂薫がよく行く場所の、捨て猫とじゃれていた、気になる女の子の名前を―
必死に泣くのを堪えるを見て、海堂は慌てていても仕方がないと、怪我のない方の手を引き、ある所を目指して歩き始めた。
上履きのままでも、授業開始のチャイムも関係ない。
「おら。・・・泣くな」
「・・・・・・」
ミーミー
腕の中に放り込まれた仔猫はへ必死につかまり、頬に伝う涙をペロペロとなめた。
愛くるしさからくる笑顔と、優しい人からくる涙が、の心を締め付ける。
「海堂く・・・・どうして・・・ここ・・・・」
「動物好きに悪い奴はいねぇ」
驚いて見た海堂の顔は赤く、彼が目を逸らす前のほんの一瞬だったが、確かには海堂と目が合った。
最初は恐いと思っていたけど・・・・
「海堂くんも」
「・・・・?」
「動物好きに悪い奴はいねぇ・・・・なんてね」
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にプレゼントしたものです。